源義経最後の地、高館義経堂

平泉の旅で最後に向かうのは源義経の最後の地となった場所。
そして松尾芭蕉が「夏草や つわものどもが 夢の跡」と詠んだ地でもあります。

どんな場所で義経は自害したのか。
松尾芭蕉はどんな景色を見て夏草やと俳句を詠んだのか。
ここは世界遺産ではありませんが、平泉の旅では絶対に外せない場所でしょう!

高館義経堂ってどんな場所?

北上川に面した広陵で、地元の人からは「判官堂」とも呼ばれている
頼朝に追われ平泉に戻った際、藤原秀衡公にこの地を与えられた
1189、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子、泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害
1683、当時の仙台藩主伊達氏が義経を偲び義経堂を建立
1689、松尾芭蕉が訪れ、この地で名句を詠む

義経堂からの眺めは平泉随一だったそうです。
現在は毛越寺の飛び地境内となっています。

境内マップ

こんな感じです。こじんまりしてます。

入り口

高館義経堂の入り口付近に大きな看板ありました。

ここからすぐに入り口に着きますが、入り口付近には駐車場がないため少し離れた駐車場へ車を停めて5分ほど歩きます。

到着!

この階段からは拝観料が必要です。
一人300円支払って進みます。

芭蕉句碑と芭蕉も見た景色

登るとすぐに芭蕉の句碑があります。

こちらは毛越寺のものとは違い、奥の細道300年を記念して建てられたものです。

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。(中略)「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し待りぬ。

夏草や 兵共が 夢の跡

芭蕉の直筆拓本です。

義経が滅び、藤原氏の王国が滅んでも、山や川は昔のまま・・

目下に見える北上川と平安時代は桜の名所であったという束稲山。
この景色は芭蕉が見た当時と変わらないのではないのでしょうか。
藤原氏時代はここがものすごく栄えていたんだと思うと不思議・・

句碑のむこうに見える景色を義経や芭蕉も見たのかと思うと、歴史上の人物が本当にここにいたんだというリアルな実感が持てます。
これぞ歴史ロマン。

この景色が一番感動したかも。
ここからの羨望は平泉随一と言われていたそうです。

 

あわせて読みたい

平安時代の優雅な庭園が残る世界遺産毛越寺

参道

供養塔が並びます

頼 三樹三郎の詩碑というものがありました。

眺めがいいです。

さらに上に登ります。

義経堂

こちらが義経堂。

中には義経の木造がありました。
この義経堂が作られたときのものだそうです。

宝篋印塔

昭和61年にこの供養塔が建てられたそうです。
当時で約800年前・・

義経資料館

義経堂の脇に小さな資料館がありました。

入り口にいきなり大きな仁王像。

なにこれ!なんか変だけど!!

藤原家や源氏の家系図や相関図。

おもしろい。

義経の軌跡など紹介されていました。

平安時代って徒歩か馬だよね。
めちゃくちゃ移動してるやん。すごいな。

この資料館、スルーせずにちゃんといった方がいいです!

弁慶の立ち往生

この場で弁慶はたくさんの矢を射られたったまま絶命したと言われていますが、中尊寺のガイドさん曰く
「弁慶の立ち往生の現場は北上川と衣川の合流地点らへんだ」と言っていました。

地図中心あたり?ちょっと南に義経堂がありますね。

合流地点方向のストリートビューです。
もちろん、ここも通ってきました。

果たしてどちらが本当かわかりませんが、平泉で立ち往生したのは事実。
合掌・・。

御朱印

御朱印もらえます。
拝観料を払う場所でもらうことができます。

直接は書いてくれず、すでに書いてあるものをもらえます。
弁慶堂のものと並べて貼りました。

弁慶堂の方が先にいったけど、空白にしておいたの。

 

あわせて読みたい

ガイドさんと歩く世界遺産中尊寺

まとめ

どなたかのブログで、高館義経堂行ったけどあの場所が義経最後の場なんて・・小さいお堂しかなくてがっかり。みたいなものを読みましたが、小さなお堂は江戸時代に建てられたもので、実際の建物はありません。

山と川、地形だけが残っているので、同じ場所に実際に立ち、思いを馳せるのがこの場所の楽しみ方ではないでしょうか。
まさに、国破れて山河あり。です。

吾妻鏡(鎌倉幕府の公式記録)の漫画より

秀衡は本当に義経をかわいがっていたんだなぁ。
義経自害の時の様子は下の漫画を読めば簡単にわかります。

 

あわせて読みたい

中尊寺に行く前に読んでおこう!奥州藤原氏を簡単に解説します④

この場所に実際に来たことで義経という人物が本当にいたのかというリアル感、同じ景色を見たのかもという歴史ロマンを感じます。
しかも松尾芭蕉というおまけつき。
芭蕉も同じ気持ちでこの景色を眺めたのかな。
芭蕉が来た頃は義経堂も供養塔もなかったはず。
何もない地だからこその「夢の跡」だったのかな~

歴史探索はこれだから面白くてやめられないです。
考察読むのもするのも楽しすぎる。笑

知れば知るほど義経のファンになります。
判官びいきという言葉が生まれたのも納得。

施設情報

住所 〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14
電話番号 0191-46-3300
拝観時間

8:30~16:30
11月5日~11月20日/8:30~16:00
11月21日~3月14日/冬期間は拝観はお休み

料金 大人300円、小中学生100円(団体割引あり)
駐車場 あり。少し離れてるので注意。
公式HP https://www.motsuji.or.jp/gikeido/index.html
公式HPのURL見て知ったけど、「義経堂」は「よしつねどう」ではなく「ぎけいどう」と読むんだ!!!



ほんとうにチンギスハンだったんかな・・・
だったら面白いな。

観光レポカテゴリの最新記事