前回の続きです。
前回の記事はこちら。
時代は3代目秀衡へと変わります。
秀衡の時はさすがに大きなお家騒動ななかった模様です。
しかし、別の戦に巻き込まれていくのでした。
平治の乱
秀衡の時代に平治の乱勃発。
秀衡とは直接関係のない事件でしたが、その結果に興味をもってしまいました。
祖父の清衡と同じような境遇だった牛若丸(義経)に興味を持った秀衡。
秀衡の先見の明すごくないですか。
この子はきっと将来父の仇の平氏を討つかもと本気で思ったのかも。
無量光院
秀衡は鎮守府将軍にまで上り詰めました。
武家の最高栄誉職とされる鎮守府将軍。
秀衡は京都の平等院鳳凰堂を模した「無量光院」を建立します。
奥州藤原3代に渡る平泉の仏教王国は最盛期を迎えました。
源平合戦
平家にあらずんば人にあらず
とまで言われた平家に対しついに頼朝が挙兵します。
頼朝を信じきれないのか義経が可愛かったのか、秀衡は義経を引き留めますが、無理でした。
秀衡の元には朝廷より源氏討伐の命が出されますが動かず。
そんな秀衡が気になって動けない頼朝。
日本人なら誰もが知ってる源頼朝がそこまで気にする男、秀衡の存在感の大きさがわかりますね。
奥州で馬と弓の使い方を覚えた義経は大活躍!
とうとう平家を滅亡させました。
京都で超人気者になった義経。
朝廷から官位までもらいます。
なんともかわいそすぎる義経・・
この時にもらった官位が「判官」だったことから、「判官びいき」という言葉まで生まれました。
不遇なものや弱者に同情するという意味ですね。
関連する逸話①
義経が恋人の静御前を連れて逃げますが、吉野山で別れます。
吉野山は女人禁制だったため、静御前は入れなかったからです。(ちなみに令和の現在も女性は立ち入り禁止の区域があります!!)
山を降りた静御前は源氏に捕らえられてしまいました。
頼朝と妻の政子の前で踊れと言われ(静御前は舞を生業とする白拍子だったので)踊る際に
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
と歌を詠んで舞います。
意味は「雪深い吉野山の奥深くに入って逃げていかれた義経様の足跡が恋しくてたまらない」という意味。
しづやしづ しづのおだまき 繰り返し 昔を今になすよしもがな
「しづのおだまき(麻糸を巻いたもの)のように、くるくると昔を今にかえすことができたなら・・」
静御前の状況や気持ちを理解すると、なんとも切なすぎる歌。
そして敵の大将の前で踊りながらこれを詠む静御前の度胸がすごい!!!
頼朝は激怒しましたが、政子が「命を懸けてこんな場でこんな歌を詠むとは見上げた女子じゃ、褒美をとらせ京へ帰しましょう」と言ったとか。
しかしそれは身ごもっていたお腹の子の命と引き換えに、ということ。
生まれた子は女なら許されましたが男だったために殺されて由比ヶ浜に埋められたと言われています。
その後の静御前の消息は不明です。
好きな人と分かれ、産んだ子まで殺され、絶望してどこに行ったのでしょうか・・
清衡や義経、頼朝など、親が殺されて子供が復讐を遂げてる現実を考えたら、殺すに限るという選択だったのも理解できるけど、もし義経の子が生きてたら、どうなっていたでしょうね。
関連する逸話②
頼朝から逃げる際に義経が詠んだ歌があります。
思うより 友を失う 源の 家には主 あるべくもなし
「疑いの思いにとらわれ、証拠もなく友の粛清を続ける源(頼朝)は、やがて主どころか誰もいなくなってしまうだろう」
と、かなり辛辣な歌。
どんな時でもどんな心情をも歌にするにが平安の美学。
ここまでのまとめ
秀衡ではなく義経の話ですが、秀衡たちにめちゃめちゃ関係あります。
義経の話なくしてこの先の平泉は語れません。
義経の若さとイケメンさ、実力もある。そしてこの不遇な扱いがさらに人気を得ているのでしょうね~~。
義経を調べれば調べるほど興味がわくし好きになる。
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