というわけで今回は長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を見に行ったのですが、まず歴史をある程度勉強してから行こうと思いさらりと勉強したところ・・・
こりゃ、さらりじゃ済まん!!!!
というわけで、がっつり歴史を学んだのでここでまとめたいと思います。
・・と思ったのですが歴史が深すぎて文章だとものすごく多くなってしまったので、漫画にしてみました!
今回の記事、長いです!
はじめに
潜伏キリシタンとは??隠れキリシタンとの違いかつては「隠れキリシタン」と教科書で習いましたが、世界遺産登録にあたりわかりやすくしたようです。 潜伏キリシタン・・禁教下においてこっそりキリスト教の信仰を続けていた人
隠れキリシタン・・禁教が解かれてもカトリックに戻らず潜伏時代の信仰方法を続けていた人
織田信長の時代
1546、フランシスコザビエルが来日。彼はポルトガルのカトリックの布教チーム「イエズス会」のメンバー。
遠い日本に来た目的はもちろん布教でした。 島原に行った時に地元の人から聞いたのは、キリシタンは弾圧されていたイメージが強いけど、キリシタンが多い島原の土地では仏教が弾圧されていたそうです。
豊臣秀吉の時代
長崎港が開港し、イエズス会の力がどんどん強くなっていることに危険を感じた秀吉。1587に伴天連追放令を出します。
これは無理な改宗や日本人の売買のほか、生肉を食べる欧米人に牛肉を生で食べるなとの項目もありました。
当時日本には生肉を食べる習慣はなく、牛は大事な家畜でしたから、生で食べるポルトガル人が日本人は怖かったようです。
26聖人殉教
1596スペインのサンフェリペ号が漂着し事件は起こります。ここまでのまとめ
キリスト教導入編でした。最初は珍しく面白そうだった異文化も、統治する側としては困りダネになってしまったのでしょう。
キリスト教が広がり結託されたら政権が倒されてしまうかもしれない。
こんな危惧からキリスト教はどんどん迫害されていってしまいます。。
長いので続きます。
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